楽しいの冷たい所。
調子に乗る。関西弁では「いちびる」。
いちびって顔が真っ赤になるような思い出は2、3個しかないけど、それがトラウマ認定されたからいちびりが禁止事項となった。
そして、そういう思い出は大抵笑われて無くしたくても他人がその面白さからよーく覚えているということは良くある。そんな時はそいつ死んでくれないかなと思う・・・いや本気で(笑)。
でもいちびって、笑われて、恥をかいたら、もう楽しいを放し飼いに出来ない。首輪にリードで安全を担保する。
楽しいを見張る僕。
これもう楽しくないのと同じ。
昔のバイト先にバンドをやっている人がいて、その人とは同じ時間じゃなかったんだけど交代の時に少しだけ話す機会があった。
その人とは共通の趣味もあって僕は好きだった。カッコ良かったしトゲが無くてほんわかする人だった。
ある日僕はその人とそれぞれが抱く夢について語り合った。
僕にもその人にもやりたいことが明確にあって、でもどちらもそれを叶えることは容易な事ではない夢だった。
僕はその人に何ていう聞き方をしたのかな、覚えてないけど僕の問いかけに対してその人は・・・たしか要約すれば自分の好きなことを信じてやることは素晴らしい事だ的な話。
おぼろだけど、その人のセリフは青春スポ根漫画みたいでかなりキザだった。自分の言ったセリフに恥ずかしさを感じたのだろう、その人の顔はみるみる真っ赤になっていった。
その人にとっても夢に向かってひたむきに挑んでいた頃で、そんな話をしている内に熱くなったのだろう。
恥ずかしがりながら自分の信念を語るその人の姿をみて、僕も恥ずかしくなった。
それは僕もその人と同じ気持ちを持っていたからだった。こういう気持ちをあえて言葉にすると恥ずかしい場合がある。
でも恥ずかしさは僕とその人を融和した。
その人はしばらくして東京のある音楽系の芸能事務所に所属することが決まり、夢に一歩近づいた。
遠い人になっちゃったけどその人に言いたいことがある。ありがとうだ。
あなたの真っ赤な顔には誠実さと親しみときらめきがあった。
僕には青春らしい青春はなかったけどそういうものがあるとするならば、きっとあなたの真っ赤な顔に僕まで真っ赤になっちゃうようなあんな感じを言うのだろう。
楽しいや夢中になることは絶対に悪いことではないはず。それで恥ずかしい目に合ったとしても手放す事はしちゃダメで、恥ずかしいは恥ずかしいけど悪いことばかりでもない。
"あきばっか〜の"の人たちくらい突き抜けて楽しむことをしたい。
恥ずかしいをもっと出していこうかな。
・・・トクサツガガガ、見たくなってきた。風花ちゃん、良いっす。